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E「梅里公園と梅里まつり」

テラスのような遊具
環七からの入り口 梅里祭り

小学生が手塩にかけた
梅干し

思いのままを背景に 思いのまま 竹林を背景に
 「梅里公園と梅里まつり」 環七高円寺陸橋交差点、「セシオン杉並」の裏手に「梅里公園」があります。「杉並区を花いっぱいに」のスローガンのもと梅里の町名にちなんで「梅の名所」にしようと作られた公園です。
  季節には園内に7種類の梅が咲き、香りもいい。中でも「思いのまま」という梅は、紅、白、桃色の花が咲き、どの枝に何色が咲くか、人の手を加えることはできず梅にまかせるほかないことからその名前がついたそうで、いい得て妙な名前といえると思います。
 毎年2月には、梅里一丁目町会の主催の「梅里公園・梅里まつり」が催され、花の下に子供を始め沢山の人が集まります。ひなあられ、甘酒や野点のお茶を楽しみにしている人も多く、花だけでなく梅の実も杉並第十小学校の生徒が手塩にかけて「梅干し」につくりあげ、祭りで人気の品となっています。町会の方々の努力で、地域の交流の場としても人気のスポットになっています。  
 また、この公園の遊具にはテラスのような形をした不思議な形をした遊具があって聞けば、車いすでも利用できるように通路を広くしていることが、テラスのような遊具になっている由縁だとのこと。誰でもトイレもありバリアフリー化も図られ集いの場にふさわしい施設となっています。  
 隣接する真盛寺には孟宗竹と赤松があり公園は梅。ここは杉並の中でも「目出度い」スポットではないでしょうか。松竹は寒中にも色褪せず、梅は寒中に咲く。宋より始まった中国の文人の理想とした「清廉潔白・節操」を表すものとして文人画に好んで描かれたもので「歳寒三友」といい、これが日本に伝って「目出度い」に変わったといわれています。  
 区内の「目出度い」スポット、是非訪れてみてはいかがでしょうか。                             <令和2年9月記> 

D気象神社の故郷は・・・・(樺山)

 
氷川神社本殿
     
気象神社の鳥居 下駄の絵馬; 気象神社
「明日、天気になーれ」と遠足の前日、何人かの友達と履いている右足の下駄を表が出るまで何回も蹴り上げたのは何十年前だろう。高円寺駅南口から東に3分のところに氷川神社がある。ここにある日本唯一の気象神社の鳥居の左わきには、珍しい下駄の絵馬が多数掲げられている。ここから、すぎなみ景観「ある区マップ」の道筋に従い純情商店街を抜け、約15分で馬橋公園につく。このあたりは、以前広い地域で「馬橋」という名の町であったらしい。馬橋小学校や馬橋稲荷などにもその名が残る。公園に入り、少し歩くと瓢箪の形をした池があり、大きな錦鯉がゆったりと遊泳している。大きな樹木の林立する公園は涼しく、ベンチで本を読む人もおり、区民の憩いの場となっている。 太平洋戦争中、この公園の地は陸軍気象部であった。杉並郷土史会会報(平成31年3月25日号)の記事によれば、昭和18年の夏ごろ突然上層部から、神社を建立するようにとの命令が伝えられ、何の目的に祭祀するか説明もないままに建立は進められた。その頃、日本は敗色が濃くなっていたので、蒙古軍を悩ませた鎌倉時代の神風の再来を願かけるためだったのだろうか。その後この気象神社は氷川神社の左に隣接して遷座された。 プロ野球DeNAの首脳陣が毎年、天候祈願に訪れると聞いた。とにかく今は、梅雨前線により襲い来る豪雨が収まることを願う。(令和2年7月11日)

C妙法寺の有吉佐和子碑(樺山)

 
堀之内妙法寺に有吉佐和子氏の碑がある。妙法寺をよく訪れ散歩していた有吉さんを偲んで、舞踊家吾妻徳穂さんらの手によって、建てられたとのこと。有吉佐和子さんといえば昭和47年(1972年)のベストセラー小説「恍惚の人」が有名である。人は自分の認知を失ったとき、街中を徘徊し、自宅に帰ることさえできなくなる。読み進むうちに頭を何かでゴーンと殴られたように驚き恐ろしくさえ思った。
 今のように「認知症」という言葉もない時代にこの小説はショッキングなものであった。「恍惚の人」の題名は戦国時代の武将三好長慶の「老いて病み恍惚として人をしらず」の言葉から発想したものといわれている。
 ところで、碑は妙法寺の境内の奥まってある日朝堂の左に隣接している。日朝堂には室町時代眼病を患うほどに勉学に精進された日朝上人が奉安され、合格祈願に訪れる人も多い。妙法寺の望月上人によれば、碑は原稿用紙をかたどった四角の台座の中心に鉛筆を模した六角形の棒が中央にあり、作家にちなむものとのこと。
 「恍惚の人」では徘徊する老人を見つけ家まで送ってくれるご近所の人々が書き込まれ、地域のぬくもりを感じた。妙法寺の鐘の音が「ウルサイ」との苦情が寄せられる時代に、このぬくもりはまだあるのだろうか。 

B和田の杉並能楽堂(樺山)

 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」この文章は誰もが学習し、多くの人が覚えている平家物語の始まりである。琵琶法師が日本全国津々浦々に行き、平家物語を琵琶演奏とともに語り、高家の人も庶民も耳を傾けたのが約800年の昔である。源平の戦いは武士の勃興の証であり、室町、戦国などを経て、250年にわたる江戸時代が始まった。江戸時代は武士の支配する社会であった。日本人の生活様式や文化は室町時代に始まり江戸時代に定着したものが少なくない。茶道、華道など私たちの生活の中に溶け込んでいる。また、生活における清潔感も養われたに相違ない。長き平和の時代に秩序維持に対する自制心や文化・芸能を楽しむ意識が日本人の心に根付いていったとも考えられる。 
 新型コロナウイルス感染症の防止で、緊急事態宣言以降、日本の感染の陽性数は減少傾向をみせ、国民性に起因するのではないかとの見解もある。 
 伝統芸能の能、狂言、浄瑠璃、歌舞伎など平家物語を源流とした作品が少なくない。狂言「奈須与市語」は平家物語の源平戦いの名場面「那須与一」をもとに創作したもの。

 和田には人間国宝・山本東次郎氏主宰する狂言の舞台「杉並能楽堂」がある。今年の3月、協議会の講座で、杉並能楽堂の狂言を鑑賞できる予定であったが、中止になり、残念であった。来年の開催を期待したい。

 

A高円寺の双龍の鳥居(樺山)


  JR の駅名になっている「高円寺」には以前から関心があり、何度もその門をくぐっ たことがある。緑多い庭を抱えた端正なたたずまいの曹洞宗寺院に納得して拝礼して いたのだが、なぜか心の中でいまひとつ物足りなさを感じていた。
  地元に詳しい委員 から双龍鳥居のことを聞き、興味が膨れ、改めて境内を散策してみた。本殿の隣に稲 荷社があり、鳥居の左右の柱に龍が彫り込まれていた。左が上り龍で、右は下り龍。 躍動的な姿に感嘆。上り龍は願いを神に届け、下り龍がそのお告げを持ってくるとい う。
  この伽藍には、インド<仏教>中国<曹洞宗・龍>日本<稲荷神社>という異なる文化 が混然一体となって調和を見せている。
  中国・武漢で発生の新型コロナウイルスで 我々は悩まされ呻吟しているが、早く克服して、この寺院のようにアジアとの共生を図 り、調和と繁栄を願ってやまない。 この鳥居の双龍製作者は田中酉蔵という方で、馬橋稲荷神社の鳥居の双龍も手 掛けている。馬橋稲荷の方が雄大で見る者を圧倒する迫力があるという。

@善福寺川の野草(樺山)

   善福寺川の野草;チロリアンランプ善福寺川の堀之内橋から二枚橋までウォーキングするようになって久しい。
  堀之内橋から済美教育研究所あたりまでの川の岸辺には白く美しいコサギがたむろして、川に生息する虫なのか餌をしきりに唾んでいる。すぐ近くの水面を泳ぐカルガモののんびりしている群れとの対照がおかしい。ただウォーキングするだけでは単調なので、川端に生えている野草を調べてみる気になった。
  昔、田舎で友と野辺の草や花を摘んだことを思い出しながら、野草を摘んで帰宅し、植物図鑑とにらめっこ。意外と図鑑の写真と現物の照合が難しいのである。摘んできた野花の一つについて妻が、チョウチンカズラというのでは。というので、図鑑を見たが載っていない。やむなくパソコンの画面にて調べると「ウツキリボク」<チロリアンランプ>と分かった。赤色の花弁に見えるところから 5 枚の黄色の花弁がのぞき、さらに雄蕊が突き出ていて、かわいらしい。いつも通る道だったが、視線を広げたら小さな宝物を見つけることができた。