高円寺・杉並の歴史

 
           

新連載 歴史閑話

昭和29年頃もまだ青梅街道には、3階建の建物はほとんどありませんでした。当時の3階建て以上の建物は、「ジュジュ」(ジュジュクリーム)だけかと思っておりました。今の「コムシス高円寺ビル」のある辺りでした・・・
しかし、その手前に山崎薬局(「セレモニーホール」、現「コムウェルホール高円寺」)があったそうですね。忘れておりました。

私広報部員Iは、中学3年生のとき(昭和29年)高円寺に引っ越してきました。
田舎から親戚の人が来ると、「ここには有名なジュジュの本社があるんだよ」と案内したものです。
昔の写真と現在の写真を見比べてみると、「方丈記」の文章を思い出します。
昔は、日本にもがいたのでしょうか?

三州:三河の国の別名
鳳来山とは、鳳来寺山のことでしょうか・・・
「鳳来山東照宮は、愛知県新城市の鳳来寺山に鎮座する神社である」とWikipediaに出ております。
ぼたもち」は、「おはぎ」のようなもの?
関東大震災(大正12年9月1日)のころ平林たい子が高円寺に住んでいたのですね!
 
 
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お話に出てくる妙法寺の大僧正は、元日本医師会会長武見太郎の叔父に当たる。武見太郎は「喧嘩太郎」としても有名でしたが、反面弱いものには優しく「情けと涙の太郎」でもあったようです。


 
 
杉並区役所前のサイカチの樹
皀莢

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お会式

堀之内熊野神社
杉並能楽堂
 
   
   
   
   
   
   
   
   
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     

歴史スポット
あんなとこ、こんなとこ

元郷土史会会長原田弘氏、杉並区立郷土博物館館長寺田史郎氏などのご協力により、広報誌「ふれあい」に平成17年3月20日発行の第1回から平成25年1月20発行第27回まで連載してきたものです。
(注記:○数字は、連載回数を表しております。)

新連載・歴史閑話

「歴史スポット」に出てくる興味ある人物や遺蹟について広報部が取材した記事や写真などを、「歴史スポット」再掲載記事の横に記載することにいたしました。
今回は、一挙に第十四回まで掲載しました。

杉並区名の由来

成宗村(現在の成田東あたり)の領主だった岡野氏が成宗村と阿佐ヶ谷村の境に植えた杉並木が立派に育ち、有名になったことに由来すると言われています。

流転の王妃

杉並区立郷土博物館は、旧嵯峨公勝(さが きんかつ)侯爵の邸宅の跡地に建てられました。その面影は庭石に残されています。
愛親覚羅 溥傑(あいしんかぐら ふけつ)に嫁ぐべく、嵯峨公勝の孫娘浩(ひろ)はこの地から結婚式場に出立したのでした。